てきとうざっき

35歳くらいで出産。子持ち(1男)の雑記

産院選びの話 続編③と、出産時の話

J医大病院(港区)

やっと分娩した病院にたどりつきました。

なぜ3つ目の病院が出てきたか、少々長くなりますが経緯を書きます。

こちらの病院には分娩のための入院しかしていません。切迫で長い間入院していた病院は、結局36週0日を迎えることができ点滴を外し、退院できたのでした。退院後は週一で検診に通いますが、2回目(38週)でさらなる異常が発覚して、お世話になることになったのがこの病院。赤ちゃんの心臓付近の血管にこぶのようなものが見つかり、S病院からこの病院を紹介され、またもや転院となったのです。

 

少々話は逸れますが、その時に対応してくれた看護師さんは、長い入院でお世話になって優しく気を遣ってくれた人で、ショックを受けている私に、「大丈夫よ!こっちの病院に戻ってこれるって信じてるから!とりあえず念のため検査受けてきて!ね!」と明るく声をかけてくれました。S病院での分娩を希望し頑張っていた私のことを知っているからこそのこの気遣い、本当に素晴らしいと思いました。

結局S病院には戻れなかったので、その看護師さんとはそれきりですが(赤ちゃん見せたかった)

 

さてJ医大病院は、妊婦さん赤ちゃんたくさんいました!

分娩に備えての入院だったので、短期間いる分には、ベッド周りの収納やトイレやお風呂、洗面台も不便なく、新しくはないけれど特に問題なかったです。大部屋は6人だったかな。トイレ、お風呂、洗面台はすべて部屋の外にあるので、遠慮なく使える感じです。

食事はまぁ普通。生まれた後はお祝い膳があります。

 

陣痛室は、部屋というよりカーテン仕切りだけのベッドが3〜4台あり、隣が近いので陣痛の痛そうな声とか丸聞こえです。陣痛室の近くに分娩室だかLDRだかがあり、赤ちゃんの産声も聞こえちゃう感じです。(気にはなりません)

分娩室だかLDRの中は、私は入らなかったのでどんなだかわかりません。すみません。

 

私は赤ちゃんに異常があったので非常事態に備え、小児科医師立会いのもとの計画分娩となり、朝から点滴で陣痛促進剤を入れながら陣痛室にいました。

子宮の収縮は起こり痛くはなってくるものの子宮口が全然開かず、子宮収縮(まさに切迫時のおなかの張り)のせいで赤ちゃんが苦しくなってしまい、緊急の帝王切開となりました。(初めての出産というだけで緊張するのに、ここまでいちいち展開が急すぎて、あ然です。さらにその後、生まれてからも赤ちゃんに色々あり、今も色んな病院通い中なのです。)

 

また話は逸れますが、陣痛室にいた間、病院からの指示ではいていた紙パンツの違和感が半端なく、そして子宮口がどのくらい開いているか度々確認されて、一体どんな状態になっているかがわからず非常に気持ち悪かったです。本気の陣痛を経験しなかったからそんなことを思う余裕があったのかもしれません。

 

さて、何が何だかわからないうちに、手術の説明を聞いたり同意書にサインしたり事は進み、夕方から手術は始まりました。麻酔は全身麻酔ではなく、お腹から下だったかな。何にも感じませんがゆさゆさ揺れたりして、ちょっと気持ち悪くなった覚えがあります。

まもなく赤ちゃんの産声が聞こえ、姿は見えませんが生まれた安心感と、とっても可愛い我が子の声には泣いてしまいました。

誰かが「10分くらいで赤ちゃんがそばに来ますからね」と涙を拭いてくれましたが、全然連れてきてくれず、朝から色々あって疲れていた私はなんとウトウトしてしまっていました。

赤ちゃん来ましたよ!って横に広げた左腕に乗せてくれたと思いますが、半分寝ていたので、ここの瞬間をほとんど覚えていません。。赤ちゃんは呼吸器を付ける必要があったので、本当に一瞬でした。

それから多分私はずっと寝ていて、気づいたのは夜中だったと思います。下半身麻酔なので尿道に管がつけられていたのと、悪露の確認&ナプキン交換で看護師さんに介護されたのが、仕方ないけどなんか嫌でした。

 

麻酔が取れてから、起き上がる時にめっちゃめちゃ傷が痛くて死にそうでしたが、産後はできるだけすぐ動くのが鉄則らしいです。

産後のママ達が色々痛そう辛そうに、廊下をヨタヨタ歩いている光景は、ちょっと面白かったです。

午前中にリハビリし、ヨタヨタしながら午後に夫と母と、NICUへ我が子に会いに行きました。

 

途中から出産の話になりましたが、とりあえずここまで!